2014年06月18日

川のお昼ごはん

先週末、岩手へ釣りに行って、新しい「お昼ごはん」を試しました。
ええ、新しいロッドとか、新しいフロータントとかじゃないです。
お昼ごはんです。

一応釣りの話をしますと、目当ての川はどこも増水ぎみで、水が少なめの川を探してなんとか釣りになったぐらいな感じでした。
最初に見に行った川なんて、周囲にはまだどーんと雪渓が。

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両日とも釣れたのはヤマメばかり。水多めのときはヤマメ優勢みたいですね。

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さて、お昼ごはん。
里川ならおそば屋さんに入る場合もあり、日帰りならお弁当持ってく手もありますが、コンビニで買って行くことがほとんどです。
おにぎりかパンに野菜ジュース、予備にチーかまかギョニソか、その手のもの・・・しかし、これが今ひとつ。
メシとしてさみしい。栄養になるって気がしない。

困ったにゃあ(なぜ猫語)。

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そこで色々考えて、「焼き米フレーク」を入手。
玄米を焼いてのしたもの、要するにでんぷんに熱を加えてアルファ化し、乾燥させたもの=アルファ化米ですね。それをさらにフレークにしたと。
お湯はもちろん水でも戻る(お湯は数分、水なら1時間程度)手軽さから「山ガールもご愛用」とか。
じゃあ「川婆もご愛用」にしてもいいでしょ、ということで。

さて、この焼き米フレークをベースに
・昆布の細切り 普段のだし用
・いりこ 普段のだし用
・干しキャベツ、干しニンジン これは自家製
・梅干し(種を抜いてちぎったの) これも自家製
・シメジ、昆布、フキの佃煮 これは頂き物
など、そのへんのものを適当に入れ、ジップ袋に入れて混ぜるだけ。

実際に川へ持って行く容器はとりあえず、壊れたイワタニのミルサーから取っといたプラスチック容器
(貧乏性でこういうものは捨てられないのよ。)
保存用のねじぶたで水を入れてもこぼれないし、大きさも具合がいいです。

朝、川へ出かける前に、ここに上の焼き米ミックスを入れ、ひたひたの水を注いで、ふたをして、携帯。
で、お昼時。ふたを開けると、こんな感じ。

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見た目わるー。
でも、おいしかったー。だしも出て、風味があって、米もやわらか。
普通のお米のようなモチモチ感はないものの、焼き米フレーク、すっかり気に入りました。

これなら、混ぜるものによって変化を付けられそうです。
タンパク源として入れたいりこの代わりに、ちりめん山椒やかつおぶし、鮭ほぐし、あるいは粉チーズ、角切りプロセスチーズでもいいかな。
ただし、特に夏は、水を入れてからいたまないよう工夫しないといけませんね。今回梅干しを入れたのもそのためです。



お昼ごはんとは全然関係ありませんが、下は、ある川近くのひっそりした池の写真です。
ちょっと見にくいけれど、木の枝にたくさん付いている白い泡は、モリアオガエルの卵かと思います。
東北も夏ですね。

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2014年02月27日

「創刊の詞」

川の地図」の更新が止まっている理由というか、言い訳の一つが、国土地理院の地図が変わることです。
「来月末頃をめど」に、旧版の地図が提供されなくなると。
そのためデータ書き直しをしているわけですが、いつものごとく、なかなか進みません。
しかしこれをやっておかないとどうしようもない。泣きながらやらざるを得ません。

しかも間抜けなことに、ついこのあいだまで、「提供停止は来年だ、余裕だね♪」なんて思ってました。
平成○○年とか書かれると、ちょいちょい間違うのよねー。西暦にしてほしいわよねー。
ええ、これも言い訳ですけれども。

そんな中、川について知りたくて読む本や雑誌は、ひと時のオアシスです。
先日、雑誌「つり人」を買いました。この雑誌を買うのは何度目かですが、初めて、「創刊の詞」に気付きました。
この文章も日付は年号ですが、さすがに第二次世界大戦終戦後約1年の頃であることはわかります。

この文章がとてもいい文章なので、書き写しておこうと思います。
(*原文はすべて旧字、旧かなづかいですが、「送る」だけは旧字が変換できませんでした。)

戦争反対。自由ばんざい。


創刊の詞(昭和二十一年七月一日)

 釣は、人類の原始時代から、吾々と深い因縁を持つてゐるらしい。子供は、すべて釣を好む。吾等の遠い祖先のやうな無心のすがたで、子供は釣つてゐる。
 釣らう。無心の姿で、釣をするために釣らうではないか。
 戦時中は、時局に調子を合はせるために、心身の練成であるとか、體位の向上であるとか、健全娯樂であるとか、いろいろの理屈をつけて竿を舁ぎだした。そして、世間に憚ること一通りや二通りではなかった。
 釣は、元來そんなものではない。人間の生活の、ありのまゝのものだ。釣することは、なにかの爲になるなどゝ考へるのは、もうそれは釣ではない。靜かに、釣らう。虚心の姿で竿を握ろう。
 吾等同好の者數人相謀つて、このたび釣魚雜誌「つり人」を創刊することに決した。吾等はもとより、釣の職業人ではないのである。街の素人である。釣場についても、釣法についても、幼い知識しか持たぬ。從つて讀者諸賢に、釣法の指導も、釣場の案内も滿足にはできまいと思ふ。しかし、なにかの相談相手だけにはなれようと思ふ。
 そんな氣持で、雜誌を制作したい。そして、讀者と共に樂しく遊び樂しく釣らうと考へるのである。
 これからは、ますます用紙の不足を告げて行くらしい。印刷方面のことも、意に任せぬことがないのである。しかし吾等は、あらゆる困難を克服して、出來得る限りの豪華な、明朗な、そして着實な雜誌を多くの釣人に送りたいといふ方針のもとに努力しよう。
 いつまでも、ご指導とご愛讀とをたまわらんことを希ふ次第である。

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2013年03月11日

2年目の春

2011年3月発売の FlyFisher 誌の表紙。

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表紙にタイトルのある「福島県浜通りの春」という記事は、本冊には掲載されていません。
発売日直前に東日本大震災が起きて、記事を削除するか差し替えるかしたものの、表紙印刷が先行してて間に合わなかったのかなーと思います。
あと、確か「編集部員が体験入門」も掲載されてなかったと思います。台割の都合でしょうか。

東京あたりに住んでいれば「春先の釣りは浜通り」という人も多かったはず。
うちのだんさんや友人だちもそうでした。私は寒がりで川には入らず、スケッチしたり草摘みしたりして遊んでましたが。
「釣りっコか」「うちへ泊まってけ」と声をかけてくれたお婆さん、歌うように流れてた水、川べりの草花など、今でもよく思い出します。

地縁も血縁もない身にできることは限られますが、格別美しい思い出の地に、いつかまた本当の春が来ることを、ずっと信じています。


posted by river at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) |