「来月末頃をめど」に、旧版の地図が提供されなくなると。
そのためデータ書き直しをしているわけですが、いつものごとく、なかなか進みません。
しかしこれをやっておかないとどうしようもない。泣きながらやらざるを得ません。
しかも間抜けなことに、ついこのあいだまで、「提供停止は来年だ、余裕だね♪」なんて思ってました。
平成○○年とか書かれると、ちょいちょい間違うのよねー。西暦にしてほしいわよねー。
ええ、これも言い訳ですけれども。
そんな中、川について知りたくて読む本や雑誌は、ひと時のオアシスです。
先日、雑誌「つり人」を買いました。この雑誌を買うのは何度目かですが、初めて、「創刊の詞」に気付きました。
この文章も日付は年号ですが、さすがに第二次世界大戦終戦後約1年の頃であることはわかります。
この文章がとてもいい文章なので、書き写しておこうと思います。
(*原文はすべて旧字、旧かなづかいですが、「送る」だけは旧字が変換できませんでした。)
戦争反対。自由ばんざい。
創刊の詞(昭和二十一年七月一日)
釣は、人類の原始時代から、吾々と深い因縁を持つてゐるらしい。子供は、すべて釣を好む。吾等の遠い祖先のやうな無心のすがたで、子供は釣つてゐる。
釣らう。無心の姿で、釣をするために釣らうではないか。
戦時中は、時局に調子を合はせるために、心身の練成であるとか、體位の向上であるとか、健全娯樂であるとか、いろいろの理屈をつけて竿を舁ぎだした。そして、世間に憚ること一通りや二通りではなかった。
釣は、元來そんなものではない。人間の生活の、ありのまゝのものだ。釣することは、なにかの爲になるなどゝ考へるのは、もうそれは釣ではない。靜かに、釣らう。虚心の姿で竿を握ろう。
吾等同好の者數人相謀つて、このたび釣魚雜誌「つり人」を創刊することに決した。吾等はもとより、釣の職業人ではないのである。街の素人である。釣場についても、釣法についても、幼い知識しか持たぬ。從つて讀者諸賢に、釣法の指導も、釣場の案内も滿足にはできまいと思ふ。しかし、なにかの相談相手だけにはなれようと思ふ。
そんな氣持で、雜誌を制作したい。そして、讀者と共に樂しく遊び樂しく釣らうと考へるのである。
これからは、ますます用紙の不足を告げて行くらしい。印刷方面のことも、意に任せぬことがないのである。しかし吾等は、あらゆる困難を克服して、出來得る限りの豪華な、明朗な、そして着實な雜誌を多くの釣人に送りたいといふ方針のもとに努力しよう。
いつまでも、ご指導とご愛讀とをたまわらんことを希ふ次第である。
最上川などの河川水位をいろいろ検索しているうちに
こちらにたどり着きました。
素晴らしいHPで大変釣りの参考になりますので
私のライブカメラマップ集にリンクさせていただきました。
地図や国交省のカメラは時々アドレス変更するのでホントにウッカリできませんよね。
大変さ、お察しいたしますm(__)m
コメントをいただきながら、2カ月近くも気付かずにいて申し訳ありません。なんて雑な人間なんでしょう(恥)
もちょっと気を引き締めたいとは思いますが…まああの、どうぞゆるゆるとお付き合いくださいね。